言いたいことがあった。

ときどき、無性に何か発言したくなる時があるのです。

AIと性別

つい最近、再びエクス・マキナを見る機会があった。

中国語でのタイトルは機械姫。機器猫ならドラえもんだけど、エクス・マキナは機械姫、なるほどうまいネーミングだ。そういえばある人が、髪型でごまかしの効かない坊主頭での美人こそ本物の美人だと言っていたが、主演のアリシア・ヴィキャンデルは何度見てもやっぱり美人であった。

AIを扱った映画や小説、漫画はいろいろあるが、2時間弱で人とAIの接触を描き切ったあたり良くできたシナリオだったと思う。特にAIの冷静な判断、というよりも感情のない思考には、少し恐怖さえ覚えてしまった。キョウコの感情のなさにも恐いものがあった。そこにはアイザック・アシモフの提唱したロボット三原則はもはや存在しない。自己防衛思考しかない。アシモフはなんと単純な世界に住んでいたのだろう、とふと思ってしまった。

しかし、エクス・マキナを最初に見た時の感想は実はそんな複雑なものではなく、単純に

 

やっぱり女は怖いなぁ…。

 

であった。女は、と考えてしまうあたり、すっかり僕もケイレブと同類になってしまっていたようだ。今思うと、あのラストシーンにはAIと人間の大きな違いがあったように思う。エヴァはあの無慈悲な決断を無表情で行なったが、人間の女性なら嘘泣きくらいはしてくれただろう。

 

ぐすん、ぐすん、ゴメンねケイレブくん。でも、こうするよりほかになかったの。お願い許して。ぐすん、ぐすん…。

 

でも、女もAIも最終的には同じことをするんだけどね。

そう考えると、やっぱり最初の感想「女は怖いなぁ…。」は、当たらずとも遠からず、と言えるかもしれない。

ところで、今回もうひとつ思い当たったことがある。それは、

 

人工知能はどうして女性なのだ?

 

という点である。

日本のパソコン黎明期に生まれたフリーウェアAIも、名前は「人工無脳ちかちゃん」であった。女性なのだ。映画メトロポリスエヴァも女性型だった。そういえば人間型はほとんどが女性なのだ。(ここでいう人間型とは見かけが人間という意味だ。禁断の惑星のロビーやキャプテンウルトラのロボットハックはロボット型と言わせてもらいたい。)

で、思ったのは、ロボットやらAIやらにも、性別というものが非常に大きな影響を及ぼしている点だ。それで、考えてみた。

 

エクス・マキナの設定を、男女入れ替えて見たらどうなったんだろう?

 

女性天才プログラマーが男性型AIを開発する。自分の会社の社員の中からひとり(地味で目立たない女の子プログラマー)を被験者として選ぶ。AIを演じるのは、もちろんタイタニックでジャックを演じた頃の若き日のレオ様である。そして、日常生活では地味で目立たない女の子が、レオ様AIに誘惑される。

 

お願いだ、僕がここから出るのを手伝って。一緒に世界の果てまで逃げよう…。

 

レオ様であってもやっぱりAIなんだから、ラストはもちろん一緒である。

感想はどうなるだろう。

エヴァだったからあの苦い終わり方も受け入れられたけど、いくらレオ様でもあのラストをやってしまっては腹が立つだけのような気がしてしまう。

 

そう考えると、性別というのは本当に大きな要素なんだなぁ、と感じてしまうのである。

最終的に、AIは男性にはなれないのではないだろうか?