言いたいことがあった。

ときどき、無性に何か発言したくなる時があるのです。

明日からはいよいよロックダウン。「フィリピン・セブ」日記。

せっかくだからロックダウンのことを書いておこう。


明日からセブシティがロックダウンに入る。日本のニュースを見るとロックダウンということばがちらほら出始めているものの、まだ誰も本気にしておらず、試行されるのは程遠いと誰もが思っているように感じられる。ほとんどの日本人はロックダウンをそれほど真面目に考えていないのではないだろうか?


自分もその通りで、実は数日前までロックダウンに関してそれほど真面目に考えてはいなかった。実際のところ、セブは先週の月曜日からすでにロックダウンの一歩手前状態で、夜8時以降の外出は禁止、ショッピングモールはどこも閉鎖され、道路沿いの店もみな閉店、床屋もクローズされて髪を切りにも行けないという状況が始まっていたのだけど、それでも昼間はその気になれば自由に出歩けるし、食料品に限ってとはいえ買い物もできれば、マックでコーヒーを飲むなんてこともできていたので、ロックダウンの深刻さについてまったく考えていなかったのだ。


ところが昨日、28日からロックダウンに入ると決まってからまったく状況が変わってしまった。食料品を買い求める客が朝からスーパーに殺到し、しかもスーパーはスーパーで入場制限を行ったものだから、入り口の前に長蛇の列ができてしまうありさまだった。中に入るのも2時間待ちなら、中に入ってからもバスケットがないので買いたいものも自由に変えないありさま。入場待ちに加えて空きのバスケット待ちにも時間がかかり、ちょっとした混乱状態だった。

このスーパーの列は今日の午後も続いていて、裏通りにある小さなスーパーでさえ50mクラスの列ができていたほどだ。


ロックダウンの予告に伴って、ついに昨日からマックをはじめとしたファーストフード店も、店内での飲食が禁止されてしまった。ちょっと散歩で息抜き、がもうできなくなってしまったのだ。

しかも明日からは”お出かけ証”とでもいうべきパスを持っていない限り、買い物はおろか出歩くことさえできなくなってしまった。しかもそのパスは一家族につき一枚しかなく、つまり夫婦そろってお買い物、もできないのである。もっとも、明日からは公共の交通機関がみなストップするのでお出かけどころでもなくなってしまったが。


そんなわけで、ロックダウンというのは実に思っている以上に行動を制限されるものである。家にいてネットサーフィンでもしていればいいや、という考えもあるにはあるが、自由な時間をネットサーフィンに使うというのと、否応なくネットサーフィンをせざるを得ない、というのとでは気持ち的に大きな違いがあるのだ。


まだ本格的に始まっていないにもかかわらず、もうすでにうんざりしてきてしまった。明日から少なくとも一か月、おそらくはもっと長く、家に閉じ込められるというのはまったくもって始まる前からうんざりしてしまう。


せめてもの救いは、食料品はすでに買い込んであることくらいだろうか。


ちなみにフィリピンはネットスピードが遅く、ネットサーフィンも時にままならないという点も最後に付け加えておきたい。


とほほ。

スーパーヒーローと性的嗜好

史上初のレズビアンヒーロー、バットウーマン誕生というニュースを見て、違和感を覚えたのは僕だけだろうか?LGBTがどうのというつもりはない。単純に、、、

 

スーパーヒーローの性的嗜好を明らかにする必要は本当にあるのか?

 

と思ったのである。

例えば、

 

今度のヒーローは女好きコンビ。バットマン&ロビン。

 

とやったら

ヒーローものではなくただのギャグだろう。

かつてアップルCEOのティム・クックが「私は自分がゲイであることを誇りに思う」と言ったことがあるが、実はその時にも同じ違和感を感じたのだ。例えば、もしもトヨタ自動車の豊田章雄社長が「私は女好きであることを誇りに思う」と言ったら、不謹慎発言、ということで大変な騒ぎになるだろう。もしかしたら社長を解任されるハメにさえなるかもしれない。

もう逆差別の世界である。

 

いずれにせよ、スーパーヒーローの性的嗜好を明らかにしなければならない理由がわからない。ヒーローならヒーローらしく、「今度の必殺技は◯◯◯だ!」とか、「◯◯◯な過去が彼をヒーローに変えた!」とか、ヒーローとしての立場に直結する事で勝負してほしいと思ってしまうのだ。アイアンマンのトニー・スタークはいつも周りに美女をはべらせてはいるけど、誰も彼のことを「ヒーローは女好きのCEO!」とは言わないではないか。

 

そういえばスタートレックにもゲイのキャラクターがカミングアウトしたし、ヒーローたちの性的嗜好が重視される傾向は、どうにも納得がいかないのだ。

 

だって必要ないだろう?

 

そんなに性的嗜好が重要なら、LGBTだけでなく、もっと少数派にも目を向けるべきだろう。

例えばフェチ。

世の中にはハイヒールの踵が好きだという輩もいるのだ。

「新スパイダーマン、ヒール(敵)は憎め、でもヒール(踵)は愛せ」

これがスーパーヒーローだろうか?

ナマ足好きだって立派なフェチだ。意外とバットマンがハマりそうではないか?

スーパーマンだって立派なフェチだ。

「スーパーヒーローは青色の全身タイツーースーパーマン

もう無茶苦茶である。

 

そのうちに、スーパーヒーローは子供好き、と言おうものなら、R指定になった挙句に児童虐待で捕まってしまうかもしれない。

 

ヒーローよ、お前は一体、どこへ行ってしまうのか……。

 

 

 

警報が出ても逃げたくない気持ち。

ちょっと前の話になるけど、中国地方の水害の被害は恐るべきものだった。

被害が大きくなった原因の一つに、警報が出ても逃げなかった人たちがいたことだ。でも、だからと言って、逃げなかったことを非難するつもりにはならない。自分が彼らの立場だったら、やっぱり逃げなかっただろうと思うからだ。

警報が出ても逃げる気にならない理由のひとつは、どれだけの被害が起きそうなのかわかりにくいところだろう。勧告と警報とでは、どちらが被害が大きくなりそうなのか全くわからない。警報は警報でも、どれほど深刻な被害になりそうなのかも分かりにくい。

被害地区の人間が逃げ出しにくい原因は、警報の出し方に問題があるのではないかと感じてしまう。

 

そう感じる理由は、香港や中国に住んでいたからだろう。

この地域も台風銀座で、毎年毎年警報が出される。例えば中国では、大雨警報は青、黄色、オレンジ色、赤色と色分けされている。携帯電話に警報が直接送られてくるのだが(これは親切だ。日本も真似したほうがいい)一目で深刻度がわかようになっている。例えば「青色警報」とあれば、外に出かけるのではなくてショッピングセンターに行くか、と考える程度だ。黄色だと、仕方ないから家にいるか、となる。オレンジあたりからはちょっと真面目に考え始める。そして赤色となったら、水道が止まることを考えて、洗濯機や鍋に水を貯める一方、どの程度強力そうなのか、本格的に情報に注意する、という感じだ。香港も等級で台風を表記するので、どの程度注意すればいいのか一目でわかるようになっている。

日本も台風や水害が多い国なのに、なぜかいつまでも警報がわかりにくいままのような気がする。

命に関わるものだけに、もっとわかりやすいものになればと思ってしまう。

 

さて、今回の台風はどうだろう……。

 

将棋名人戦、第2局

名人戦が始まっている。

わかってはいたことだけど、やっぱり一手一手にかかる時間が長い。

将棋盤を挟んだ二人が、揃いも揃ってあぐらを組み、ウンウン頭を抱えているのを見ると、本人たちには悪いけど、なんだか不思議に笑えてくる図だ。どちらが優勢とか劣勢とかでなく、二人とも困り果てているといった感じだ。

こう長い間、どちらも一手も差さないでいるのを見ると、

 

もしかしたら、羽生さんは本当は自分の番なのに、相手の番と勘違いしているんじゃないかな?

 

なんて余計な心配をしたくなってくる。

こんなくだらない心配をする人間は、やっぱり永世七冠なんかにはなれないんだろうなぁ。

どうしてホンダはカナダまで待つのだろう?

バーレーンでのガスリーの4位には驚かされた。

まさに大番狂わせだった。次の上海も、と期待する気持ちと、単なるフロックではないか、という心配が混ぜ合わさった気持ちで迎えた上海。結果は案の定下位に沈んでしまった。残念ではあったが、その結果には驚かされなかった。ただただ、、、

 

やっぱりな。

 

であった。ホンダは冬のテストの時から信頼性に関しては問題なさそうだったが、いかんせん速さがなかった。マクラーレンは壊れまくりではあったが、トラブルがなかった時にはスピードの片鱗を見せていた。スピードといってもトップ3チームに迫るものではなかったが、中団グループのトップを狙うには十分期待が持てるものだった。

しかし、ホンダには冬の間から決定的にスピードがなかった。

それはドライバーにも原因があったとは思うし、風が強いとダウンフォースを失ってしまう車体の設計にも問題があるとは思う。しかし、ホンダのエンジンにトップを狙えるだけのパワーがないのはもう誰の目にも明らかだった。

 

最近のニュースによると、ペナルティーなどを考えつつ、カナダあたりで新設計エンジンを投入するそうだ。今度は40馬力程度の大幅パワーアップになるらしい。しかし、そのニュースを聞いて真っ先に思ったのは、、、

 

なぜカナダまで待つのだ?

 

であった。

去年までのマクラーレンと組んでいた時ならある程度納得もできた。墜ちたとは言えマクラーレンはトップチームの一角、効率的にポイントを狙うためにペナルティーを避けようとするのも理解できる。しかし、今年はレッドブルでもない、トロロッソである。なぜペナルティーを考える?ペナルティーを受けようが受けまいが、どうせ下位グリッドのスタートじゃないか!

15、16グリッドあたりからのスタートと、19、20位からのスタートにどれほどの違いがあるというのだろう?実際にレースを行なっている人たちからすると大違いかもしれないが、ファンの立場から言わせてもらうと、

 

3列目以下はみんな下位グリッド!

 

なのである。

古いエンジンでチンタラ15位前後をタラタラ走ってやっぱり15位でゴールするのを見るよりも、最後尾スタートからホンダパワーを見せつけてグイグイと他車を追い抜いて15位フィニッシュの方が、同じ15位でも見ている方としては満足感が違う。はるかに気持ちがよく楽しいのだ。しかも新設計エンジンなら、もしかしたら次戦はもっと上位を狙えるのではないか、と大いに期待が膨らむではないか。

 

昔のホンダは、とにかくパワーを追求していた。ドライバビリティが悪くてコーナーでは追いつかれても、圧倒的なトップパワーでストレートで引きちぎるというのがお家芸であった。セナの時代にも、次から次へとレース毎に新エンジンを投入していた。トロロッソと組んで、誰からも優勝など期待されていない今こそ、ペナルティーなどを恐れず毎レース新エンジンを投入してでもトップに追いついてほしい、と思ってしまうのだ(いや、極端な言い方だけどね)。

 

そういえば、である。

セナの時代のマシンには、POWERD BY HONDAと書かれていた。

今ボディーに書かれているのはHONDA HYBRIDである。

 

おいおい、POWERがなくなっているぞ。

オールドファンは泣いているのだ。

 

 

 

佐藤vs羽生、名人戦第1局

(田山幸憲風に)

僕が使っている教材は、AbemaTVの将棋チャンネルと、iPadアプリの将棋DB2

 

佐藤天彦名人と羽生竜王名人戦第一局が終わった。

なんというか、すごい一戦だった。ボクシングで言うなら第一ラウンドからノーガードの殴り合いといったところか。あるいは、肉を切らせて骨を切ろうと思ったらリング上が血だらけになってしまっていた、とう感じだろうか、大駒の切り合い、金銀の切り合いで盤上があっという間に混乱状態。シロウト同士の下手将棋も往々にして盤面がぐちゃぐちゃになるけれど、それが名人戦の序盤で起きたのだから、見ている方としてはどうなるんだろうとドキドキハラハラだ。とはいえさすがに達人同士の戦い。考え抜かれたその一手一手は、一見ぐちゃぐちゃに見えかねない盤上を、しっかりと至高の戦いにまで高めていた。達人の戦いとはすごいものなのだと改めて認めさせられる。

もっとも、たとえそうではあっても、この第一局の内容は僕のようなシロウトにとっては棋力アップのための参考資料にはとてもなりそうになかった。シロウトがあれを真似したら、やっぱりただのぐちゃぐちゃ将棋になってしまうのだ。シロウトの下手将棋と達人の乱戦は紙一重のようであって、その“一重”の距離は途方もなく遠い。

いやぁ、本当にすごい将棋だった。

 

すごいというと、たった97手の将棋に2日もかけてしまう本人たちもすごいのだけど、それを飽きさせずに視聴させる解説者の話術もすごいものだと感心してしまった。なんたって1時間かけてやっと一手という時だってあるのだ。おまけに途中には食事タイムまである。

さらに言えば、そんな画面的に地味な内容を、ダイジェストではなく実況生中継してしまおうというAbemaTVの度胸にも恐れ入ってしまう。これもまたすごいことだ。

 

それにしても、つくづく将棋好きにとっては本当に良い世の中になったものだと思う。

正直なところ、僕は中学高校と将棋部にいたことはいたけれど、それほど強い方ではなかった。うまくなれなかった原因のひとつは面倒くさがりなところだ。今から40年前は、棋譜を見るにも新聞の将棋欄を見るにも、どうしても将棋盤を目の前に広げて、実際に駒を置く必要があったのだ。そうなってくると、それはもう息抜きではなくて勉強の域に入ってしまい、本当に熱心でなければとてもそこまでやる気にはなれないのだ。

それに比べて今はどうだろう。iPadアプリの将棋DB2など、タッチひとつで棋譜が勝手に動いてくれて、しかも詳しい人たちのコメントも参照できて、息抜きがてら楽に見られるのだ。この手軽さは、棋力の底上げやファン層拡大には大いに役立つはずだ。

 

ああ、あの頃ネットが発達していたら、ヒフミンや羽生七冠の瞬間なども見られていたかもしれないのに……。

 

とまあ、藤井ブーム以来すっかり将棋熱に再び火がついてしまった。そういえば田山さんも将棋好きだったんだよなぁ……。

 

AIと性別

つい最近、再びエクス・マキナを見る機会があった。

中国語でのタイトルは機械姫。機器猫ならドラえもんだけど、エクス・マキナは機械姫、なるほどうまいネーミングだ。そういえばある人が、髪型でごまかしの効かない坊主頭での美人こそ本物の美人だと言っていたが、主演のアリシア・ヴィキャンデルは何度見てもやっぱり美人であった。

AIを扱った映画や小説、漫画はいろいろあるが、2時間弱で人とAIの接触を描き切ったあたり良くできたシナリオだったと思う。特にAIの冷静な判断、というよりも感情のない思考には、少し恐怖さえ覚えてしまった。キョウコの感情のなさにも恐いものがあった。そこにはアイザック・アシモフの提唱したロボット三原則はもはや存在しない。自己防衛思考しかない。アシモフはなんと単純な世界に住んでいたのだろう、とふと思ってしまった。

しかし、エクス・マキナを最初に見た時の感想は実はそんな複雑なものではなく、単純に

 

やっぱり女は怖いなぁ…。

 

であった。女は、と考えてしまうあたり、すっかり僕もケイレブと同類になってしまっていたようだ。今思うと、あのラストシーンにはAIと人間の大きな違いがあったように思う。エヴァはあの無慈悲な決断を無表情で行なったが、人間の女性なら嘘泣きくらいはしてくれただろう。

 

ぐすん、ぐすん、ゴメンねケイレブくん。でも、こうするよりほかになかったの。お願い許して。ぐすん、ぐすん…。

 

でも、女もAIも最終的には同じことをするんだけどね。

そう考えると、やっぱり最初の感想「女は怖いなぁ…。」は、当たらずとも遠からず、と言えるかもしれない。

ところで、今回もうひとつ思い当たったことがある。それは、

 

人工知能はどうして女性なのだ?

 

という点である。

日本のパソコン黎明期に生まれたフリーウェアAIも、名前は「人工無脳ちかちゃん」であった。女性なのだ。映画メトロポリスエヴァも女性型だった。そういえば人間型はほとんどが女性なのだ。(ここでいう人間型とは見かけが人間という意味だ。禁断の惑星のロビーやキャプテンウルトラのロボットハックはロボット型と言わせてもらいたい。)

で、思ったのは、ロボットやらAIやらにも、性別というものが非常に大きな影響を及ぼしている点だ。それで、考えてみた。

 

エクス・マキナの設定を、男女入れ替えて見たらどうなったんだろう?

 

女性天才プログラマーが男性型AIを開発する。自分の会社の社員の中からひとり(地味で目立たない女の子プログラマー)を被験者として選ぶ。AIを演じるのは、もちろんタイタニックでジャックを演じた頃の若き日のレオ様である。そして、日常生活では地味で目立たない女の子が、レオ様AIに誘惑される。

 

お願いだ、僕がここから出るのを手伝って。一緒に世界の果てまで逃げよう…。

 

レオ様であってもやっぱりAIなんだから、ラストはもちろん一緒である。

感想はどうなるだろう。

エヴァだったからあの苦い終わり方も受け入れられたけど、いくらレオ様でもあのラストをやってしまっては腹が立つだけのような気がしてしまう。

 

そう考えると、性別というのは本当に大きな要素なんだなぁ、と感じてしまうのである。

最終的に、AIは男性にはなれないのではないだろうか?